志るべ 6月号

志るべ6月号 天風会

今回ご紹介する本は、中村天風財団の機関誌

『志るべ 6月号』

です。

口絵は、中村天風書「力」(1964年夏)

吾等の誓。

【天風箴言三】現代語表記版

自分の心の中に何かの悩みがあるならば先づそれは「取越苦労」か或は「消極的思考」の何れかである故に入念に省察すべし

普通の人間であるかぎりは、そんな「悩み」のない人間などというものは断然この世にあるはずがないことだと思いこんでいる人さえある。

「悩み」という心理現象は、決して偶然突発的に発生するものでなく、必ずその心の中に、何かしら取越し苦労かまたは消極的な思考、すなわ ち憤怒、恐怖、悲観、憎悪、怨恨、嫉妬、復讐、憂愁、煩悶、苦労というような消極的な感情、情念が心の表面(実在意識領域)に発生した結果なのであり…。

潜在意識の整理が完全に出来ていない結果なので、要約すれば潜在意識の整理が不完全だと、本能心意の中に「不要残留心意」というものが、多分に存在することになるために、この「不要残留心意」が素因となって、それが前掲したような種々の消極的感情、情念となって、実在意識領域に発現してきて、その結果いわゆる 「悩み」という値打ちのない心理現象となるのである。

明るい朗らかな人生に活きるには、先ず「悩み」という心理現象を心にもたせぬよう、平素から正しい準備をしておくことが、何よりも肝心な人生の秘訣なのである。

(今日行わずといえども又の日があるというなかれ)

(今年行わずといえども来年もあるというなかれ)

(月日というものはたちまち去って二度と来ない)

(倦きずに行うことが人間の本当の安定の道)

悩みの原因は、取り越し苦労か消極的思考の何れかと言っています。

まだ起こってもいないことに、神経をすり減らしていては疲れます。

消極的思考は何をやってもダメな結果を導いてしまいます。

天風哲学はその消極的思考を取り除く、具体的なノウハウを教えてくれます。

『真理のひびき』/中村天風


文庫化されました。

新箴言註釈がまとめられている、『叡智のひびき』の続編になります。

「統一箴言」 中村天風

中村天風真理瞑想集 (夏期修練会編) 第七回

いかなる場合においても、「もの」を作り 出そうとする本来の作用が、人間の心にはあるということなんだよ。

人間が進化向上を現実化することを、はじめから責任づけられ、義務づけられてできているがためなのであって…。

不完全を嫌い完全を喜ぶという気持ちがあるでしょうが。

何人といえども、それが芸術家でなくともまた作家でなくとも、みんな今私がお耳に入れたとおり、何と何ものかを作り上げたい、完全にあらしめたいという意欲観念というものが誰にでもあるんだ。だからそれが本来の自分の生命の中にあるから、もう、生まれながら持ってきた心の奥に存在している動かすべからざる本能なんだ…。

本当の目的は、進化向上に順応するため、そして進化向上を現実化するため、リアライズするためなんだが、これがまた普段、多くの人が気がついてない。

医者の本来の面目は人の病を治すことにあるんじゃないんだ。おかしいなと思う人はよく聞け。医者の本来の面目はこの世の中の病人を少なくすることなんだ。つまり人をして病に罹らざらしめん研究をすることなんだ。

何かこう美味いもんでも食いに来たか、いい着物でも着に来たか、出世でもしに来たか、あるいは溶けるような恋でもしに来たように思ってるやつが多いんだ。

患いに来たのか苦労しに来たのか悶えに来たのか悩みに来たように思ってる人間もありゃしないか? そういう人間に限って、この世の中は苦の娑婆だとこういうわけだ。

そういうような人生観で人生を生きている限りにおいては、人間っていうものはいつまでたっても浮かばれないよ。

ただ勉強して、いい学校出てそして成績よくして月給よけい取ろう、つまんねぇ目的だぜ、これ事業に成功して商売繁盛して銭儲けよう。これもつまんねぇ、儲けてどうするんだ、一体。儲けたと喜んでも、 手前がくたばってしまっては、何にもならないじゃないか。

どこまでも人間の生命の本来の面目は創造的だというところに、人間を考える重点を置かなければいけない。

やらなければ駄目だよ、何だって。やりゃできるんだから。

だらしなく何の目的もなく、ふらふらふらふら生きた一日よりは、あ、今日はこれだけのものを読んだとか、これだけのことをしたとかっていう、はっきりと記憶に残ったときの方が、自分の生きて生命に対する価値を感じやしないかい?

やたらと現代人のような卑しい欲望や自己を本位とする汚い希望は駄目なんだよ。

希望や理想は、できるだけ価値の高い目標で心に描かなければ駄目だよ。

価値の高い目標とは、いかなる場合があろうとも、自己を現在よりも正しく向上せしめることなんだ。 今日よりも明日、明日よりも明後日、明後日よりも明々後日というふうに自分をだ、日々に日々にプロモートさせることをしょっちゅう考えなければいけないんだよ。

とにかく自己向上という意欲を自分の心に燃やさないで、そういう希望や理想を持たないで生きてる人は、いいかい、自分自身の人生存在を極めて軽く見ている人だぜ。お互い人間は万物の霊長だぞ。

進化と向上 Evolution and Elevation を現実化することを目的とするために、人間生まれてきたんだから、知る知らざるとを問わず。

どうせ人間生まれた以上は一遍は死ぬんだ。 しかし死んでいない以上は生きているんだ。これは当たり前のことなんだ。生きている以上は有意義に生きなけりゃだめだよ。

自己向上の意欲があったら何にも負けないはずだもの…。

常に正しい希望を我が心の中に持て!それには毎晩、寝がけに観念要素の更改をするとき、鏡に向かって、「お前、信念強くなる」って言ったついでにだ、その清い尊い希望を鏡に映る自分の顔に向かって呼びかけておけ。

人間として生まれて来た目的は、進化と向上に現実化するため。

難しく聞こえますが、至ってシンプルです。人間に限らず、全てのものは、よりよいものを創っていこうとしています。生命の誕生も、星の誕生も、宇宙の誕生も全て、その法則に従って動いています。その法則に従って生きれば、彷徨うことも少なくなるでしょう。

第八回「天風先生と歌」(後)

学びを深める講話シリーズ

松本光正講師

「明日ありと思う心の仇桜

 夜半に嵐の吹かぬものかは」

人は皆死ぬんだよ」ということも、先生はよくおっしゃいました。

自分たちは年を取って死ぬんだということがまた一つ胸にストンと落ちれば、人と交わるときの考えについても、何をするにしても、もうちょっと心おおらかにいくはずなんだけれど…。

「散る桜残る桜も散る桜」

「昨日まで人のことかと思いきや

 今日は俺のことかよこいつぁたまらん」

死ぬまでは生きているんだから、死ぬことを考えないで、生きている間をもっと充実して楽しく生きなさいよ。

「あら楽や虚空を家と住みなして

 須弥を枕にひとり寝やせん」

「生きながら死人となりて成り果てて 

 思いのままにするぞよきかし」

「急がずば濡れざらましを旅人の

 後より晴るる野路の村雨」

「今は今今という間に今はなし

 今という間に今は過ぎゆく」

「憂きことのなおこの上につもれかし

 限りある身のためさん」

そして何はともあれ他人に好かれる人間になりましょうやと、そうすればおのずと有意義な人生に生きられるんだから…。

「思う事一つかなえばまた二つ

 三つ四つ五つ六つかしの世や」

「面白きこともなき世をおもしろく

 住みなすものは心なりける」

本当に、楽しくするか楽しくしないかは心なんですね。心が、お金がなくても、空を見て、ああ、いいなと思えば、心が幸せを感じるんです。

「思わじと思う心は思いなり

 思わざりせば思わざるなり」

「元日や土の旅の一里塚」

「来てみればさほどでもなし富士の山」

「気に入らぬ風もあろうに川柳」

「切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ

 身を捨ててこそ浮かぶもあれ」

「心こそ心まよわす心なり心に心心許すな」

「心だに誠の道にかないなば

 祈らずとても神や守らめ」

神に拝むという行為を徹底的に批判しましたね。 拝むことそのものはお願いすることで、これは消極的な権化である、拝むなと。 拝むときはありがとうございます、これだけなんだぞと。

「さしあたるその事のみをただ思え 

 過去は及ばず、未来知られず」

「座禅せば四条五条の橋の上

 行き交う人をそのままに見て」

「達磨(だるま)さんちょいとこっち向け世の中は 

 月雪花に酒に女だ」

「散る桜残る桜も散る桜」

「嘆きつつひとり寝る夜の開くる間は

 いかに久しきものとかは知る」

「為せば成り為さねば成らぬものなるを

 成らぬはおのが為さぬためなり」

クンバハカ一つとってみても、天風先生がインドで苦心の末にこれを悟ったものなんです。

「根を据えて風にまかせるかな」

「晴れて良し曇りても良し富士の山」

「ひたむきに人の世のため尽くさんと

 思ふ心に光りあるなり」

人の世のために尽くすというのは、私心なく、誠心誠意人々の協同幸福のために努力することである。

「人ごとに七つのあるものよ

 我には許せ敷島の道」

「もの言えば唇寒し秋の風」

「闇の夜に鳴かぬ鳥の声聞かば

 生まれぬ先の父ぞ恋し」

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」

感応性能というのは、心があって、そしてここに事物、物があるとすると、物と心とを結ぶ中間に性能というものがあって…。

「わがものと思えば軽し傘の雪」

「忘れじと覚えしうちは忘れけり

 忘れて後が忘れざりけり」

「春雨や草木を分けてぶらねども

 受ける形の各がまにまに」

「雲晴れて後の光と思うなよ

 もとより空にありあけの月」

「武士は生の二つうち捨てて

 進む心にひくことはなし」

「武士の心のうちに死の一つ

 忘れざりしば不覚あらじな」

「武士の心の曇らねば

 たちおうかたき映つしてるべし」

「心あれば仏も鬼に見ゆるなり

 心なきこそ心なりけり」

「思わじと思うがものを思うなり

 思わじとだに思わじやだど」

「うつるとも月は思わずうつすとも

 水も思わず広沢の池」

他にも俳句や歌、十牛訓、ことわざや慣用句なども紹介されています。

「湯上がりの気もちを欲しや常日頃」

「学んでいよいよ苦しみ、極めていよいよ迷う」

など。

天風先生はかなりの読書家ということがわかります。

さまさな言葉を知っていると、表現しやすくなりますし、伝えやすくもなります。

読書は趣味の1つにしておくと良いでしょう。

「カリアッパ師との対話」

第二十三回「天の声を聞く」その一

「ディヤーナの第一条件は、心を静かに安定していなきゃいけないんでしょ」

 ディヤーナというのは瞑想のことなんだ。

「天の声と言やあ、天の声だ」

「天に声があるんですか」

「ある」

結論から言えば、天の声とは、『声無き声』のことなんですが、これを習得するには、講習会に参加して、たくさん練習する必要があります。

夏期修練会の案内

未知(あす)を拓く、 無知(いま)を楽しむ。

今を無邪気に楽しむ。

そのことで運命は自ずと拓かれる。

広岡達朗 人生の答え/藤平信一

(株)ワニ•プラス


「私がおすすめしたい、この一冊」 

服部喜夫講師

藤平光一先生は、天風先生より「人生は心一つの置きどころ」即ち「心が体を動かす」ことを師事され、それから相手の氣を自由に導くことができ、相手をスムースに投げ飛ばすことが出来るようになったと云われています。

広岡さんは、それらの質問の答えを、中村天風先生そして藤平光一先生から学んだ通り、人生九十年間の体験を通して、積極的な活き方の答えを明快に答えています。

卒寿を迎えられた広岡さんが益々お元気でおられるのは、天風教義の実践と心身統一合氣道の教えである「氣を出す」と「臍下(せいか)の一点に氣を静める」ことを実行しているからです。

投稿原稿 「天風先生を敬愛した素野福次郎氏」

吉田勝昭

天風先生の講話は体験に基づいた軽妙な口調で、説くところも禅に近く、全く私心がない。

「会う人は、皆先生」といった生き方にも深く感じ入って…。

企業は人なり」とはよく言われるが、経営者の大きな役割は質の良い社員を養成し、企業としての社会的使命を果たすことである。

賛助会便り

東京の会

服部講師の「いつでもどこでもありがとう」という感謝の生活のお話。

朝礼や安定打坐はできるときにやればよいなどのお言葉から、質の問題より量(回数)の問題とまずは捉えるのが良い。

中村天風財団公式の動画配信サイトがあります。

有料ですが、心身統一法概論などの講習会を視聴することができます。

詳細は公式ホームページよりリンクがあります。


著書の紹介『運命を拓く』中村天風

『身体を磨く』心身統一 錬身法

呼吸操練や統一式運動法、積極体操などを、本とDVDでわかりやすく解説しています。

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