志るべ 2022年5月号

志るべ2022年5月号 天風会

中村天風財団(天風会)の機関誌です。

まとめと感想を書き留めてみました。

『何事を為すにも報償を超越してそれを自己の責務なりと思うて行う時其行為は尊とい』

【天風箴言二】現代語表記版

報酬を目当てでなされる行為との相違は、真実心、即ち“まごころのこもり方”というものなのである。

それはまごころというべき尊厳なものでなく、強いていえば「念が入れられた」とか、「丁寧にされている」という言葉で形容するのが妥当である。

真理は万事を貫く。

そこに一点何も求めるものがない、純一無雑な「心」でそれが行われるとき、その行為から形容できない温かいものを感じる。それは即ち「まごころ」というもののもつ尊さへの感応である。

重要なことは、「まごころ」で行われる行為に は、絶対の「強さ」というものがあるということである。

「まごころ」という「心」の中には、期待というものがないから、当然失望というものもないからである。

我ら天風会員のように、真理に従って真人生に活きつつあるものは、当然いつも何事を為すにも、 「Emolument is not object with me.(私にとって報償は目的ではない)」を人生モットーとして生活することに、注意深く心がけねばならない。

報償を目的とするような凡人俗人の卑しい心もちが発生したならば、

「箱根山、駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」

という古い歌を思い出すがよい。

他人あっての自分、自分あっての他人ということが理屈でなく感じられる。

誠に尊いのは、まごころである!!

要するに、まごころの生活こそ人間の純正生活の基本的な要をなすものであり、同時に安心立命の本質である。

報酬ありきの行為は誰でもやりますが、「まごころ」のこもった行為ができている人は少ない。

だから、「まごころ」には価値があり尊い。

報酬があるかないかに関係なく、人のためにできることは何なのかを考えて、行動していきたいものです。

「運命の誦句」/中村天風

中村天風真理瞑想集(夏期修練会編) 第六回

自分じゃ気がついてないけれど、自分の人生に対する考え方というものが、 物質偏重という気持ちに自然となっちゃってるんです。

貴重な人生を何の経験もなく、 準備もなく、自覚もなく、反省もなく漫然として生きている人が多い。

運命というものには、天命宿命というものがある。

どうにもしようがない運命は天命なんだ。宿命というのは、人間の力で打開していくことができるものなんです。

ところが、慌てものは、自分がいろいろ努力してどうにもうまくいかないとなると、それが宿命である場合でも、ついつい天命にしちまうんだな。どうにかなるものをどうにかならないものにしちまってるんです。

もし天風会で教わるような気持ち、心持ちになれば、 お互いが生きる人生の毎日毎日が、どんなことがあっても喜びと光明が充満している人生になることができるのに、世のおおむね多くの人々は、自分の無自覚と神経過敏な心とで、憐れはかなく、価値なく、くだらなく、値打ちのないものにしちゃっている。

運命がつまらないんじゃない。自分の考え方がつまらないのであります

そういってもなかなか気がつかなくて「私は心が汚れてない」とこう言いますよ。私は心が汚れてませんってやつはみんな汚れている。

心のきれいな人間というものは、その心が常に霊性の世界で生きているんであります。

手っ取り早く霊性の世界に入ろうと思ったら、何事に対しても感謝歓喜の感情を持たせるようにしてごらん、 心に

これまでの自分はその心が悩んだ、もがいたけれど、もうこれからは私も真理に順応して生きるという正しい人間になったんだから、こんな事柄に私の心を曇らしちゃいけない、悩ましちゃいけない。

習慣づけなさい、習慣は第二の天性。 何にでも感謝し、 何にでも喜ぶように癖つけるんだよ。

人間の思い方や考え方を変えるのに、偉くならなきゃ変えられないってもんじゃないんですよ。

天風会員は難しかないよ。なぜっていうと、天風会員はそう成り能(あと)うような心の作り方を、縁あって天風会員になると教わるんだもの。

積極的観念の養成法である「観念要素の更改」「積極観念の養成法」。 あれを教わったままやりさえすれば、自然と心の態度も積極的になる。

観念要素の更改と積極観念の養成をやりさえすれば、 潜在意識の中のリクリエーション(改造)が完全にできて、その結果が心の知覚作用を完全にする感応性能が順調に矯正されるので、自然と何事をも感謝し、何事をも喜ぶというような気高い階級の高い心が、あえて非常な努力をしなくても心の中からでるようにできている。

宇宙霊の心には決して消極的な観念がない。その宇宙霊の心と同じ心になるんだもの。

どれでも価値のない心を少しでも心に持っていれば、自分から知らざる間に宇宙霊の力を、自己の運命の中から遠ざけちまうことがある。そうすればもういよいよ、ただ、ますますもって自分の思うようにならない世界の方だけが、自分の目の前に現れてくるだけ。

それを何であろうと感謝と歓喜に振り替えなければいけない。たとえ何であろうと、こうしてこうやって生きているこの尊さ。

心の中になんとも言えない喜びと感謝が満ち満ちてくると、 言葉も自然と何とも言えない良き言葉になり、行いもまたしだいに良き行為になる。

我は今宇宙霊の中にいる、というの忘れちまうからいけない。

宇宙霊の中にいるというのは、宗教的な言葉でいえば、 神仏、我とともにあるということじゃないか。それを忘れずに生活すれば、決して消極的な心を持つはずはないんだ。

またそういうような気持ち、心持ちを持っていれば常に最高の運命が選び出されます。

内省検討をやっているか。自分の思っている、考えていることをこれが果たして積極か消極か。 自分勝手な自分本位な我がままな勝手な考え方であるかないか。

それから人の言葉や行いを、自分の心が受け取っていいか受け取っていけないのかの暗示の分析をしてるかしら。

本当に誠と愛と調和で相接しているか。 そして同時に自分は取り越し苦労や、持ち越し苦労や、 現在苦労をしていないかしら。そして同時に自分のすること、言うこと為すこと全ては本心良心でやっているかしら。

永久にと考えると難しいが、たった今だけは、感謝と歓喜の感情をできるだけ心に持たす。

心は人間の生命と宇宙の根本主体との調子を合わせる ダイヤルだもの。

感謝と歓喜というものは、宇宙霊に正しい力を呼びかける最高にして純なる合図になるわけだ。そういうふうにできているんだ、自然法則が。人間が感謝して喜んでいるときの気持ちくらい清く正しいものはない。憎んで怒って悶えているときくらい汚い感情はないってことは、考えたってわかるじゃないか。

恬淡明朗、溌剌颯爽。 一体、こういう貴重な真理に無自覚な人の多いのは、あまりにも朝から晩まで物質主義で生きるからだよ。

誦句はやはり自分の心に暗示付けるんだから、暗示付けるだけのイントネーション(音調)やプロナウンシエーション(発音)で言ってもらいたいね。

誦句を言うときにだって、自分自身の心にグングンと打ち込んでいかなければならない。だから棒読みはいけないよ。

「運命の誦句」

およそ宇宙の神霊は、人間の感謝と歓喜という感情でその通路を開かれると同時に、人の生命の上に迸(ほとばし)り出でようと待ち構えて居る。

 だから 平素出来るだけ何事に対しても、感謝と歓喜の感情をより多くもてば、宇宙霊の与えたまう最高のものを受けることが出来るのである。

 かるが故に どんな事があっても、私は喜びだ 感謝だ 笑いだ 雀躍(こおどり)だと、勇ましく溌剌と人生の一切に勇往邁進しよう。

運命の誦句

運命には天命と宿命があります。

いつどこで生まれて来るのか、男か女か、親を選ぶことができないのも天命です。

自分ではコントロールできないので、受け入れるしかありません。

一方で、体力や頭の良し悪し、人付き合いや仕事など、殆どのことは自分で選ぶことができます。

それを天命と勘違いしてはいけません。

自分の身に起こった出来事は、全て自分自身の責任だという心持ちが重要です。

他人のせいにしていては、何も解決しないし、成長もしない

何事に対しても感謝と歓喜の心を持つこと。

一見すると、ネガティブな出来事に対しても、感謝と歓喜を忘れてはいけません。

宇宙霊の力を取り入れるためにも、感謝と歓喜を忘れないこと。

第七回 「天風先生と歌」(前) 松本光正講師

学びを深める講話シリーズ

天風先生の歌と俳句について紹介されています。

「世の中に寝るほど楽はなかりけり

  浮き世のバカは起きて働く」

「丸い卵も切りよじゃ四角

  ものも言いよで角が立つ」

「箱根山駕籠に乗る人担ぐ人

  してまた草鞋を作る人」

「行くな戻るな佇むな

  立つな座るな寝転ぶな」

「ありのままに我ある世とし生き行かば

  悔ひも怖れも何ものもなし」

ありのままとは、本心良心の本来の面目に則するということ。

本当の人生の幸福とはどういう幸福だというと、簡単なんですよ。人生に悶えのないときが一番幸福なんだ。

ただ現在与えられたところを、試しにヒョイと振り返ってごらん。そうすると、人生に悶えというものは、 そう湧いてこないから」

「悲しくば明日悲しまめ

  今日の日は光うるおしく吾を照らすも」

「剣聖の訓へによりて焚きし飯

  禅味ゆたかに力湧き出づ」

「この国に生まれし人の誇りかな」

「寿直なる幼古ころをいつとなく

  忘れはつるか惜しくもあるかな」

「日出ずる国に生まれて男かな」

「ひたすらに人の世のため活きなんと

  思う命に光あるかな」

幸福という権利は、自己統御を完全にするという正しい義務の実行者にのみ恵まれる。

「ひたむきに人の世のため尽くさんと

  思う心に光あるなり」

人の世のために尽くすというのは、私心なく誠心誠意人々の共同幸福のために努力することである。

人の世のために尽くすのが大事なんだぞ。

「人はみなさだめに活くるひと世と知らば

  心おほらかにすごさんものを」

苦を楽しみに振り替えることの出来ない人は、他の人の喜びを吾が悦びとなし得ぬ人と同様で、謂はゆる凡庸下俗の人である。

「面白きこともなき世をおもしろく住みなすものは 心なりけり」

「ふたたびは来らぬものを今日の日は

  ただほがらかにすごしてたのし」

今日という日を、今日を大切にしなさいと、今日しかない、今しかないんだよということ。

「世の中に右も左もなかりけり

  真中一筋この道一本」

安定打坐の歌

「安定の打坐密法の真諦は

  心耳を澄まし 空の声きく」

「心をば 虚空の外に置きかえて

  五感気にすな、打坐の妙法」

「心をば静かに澄ます、空の空」

「カリアッパ師との対話」

第二十二回「いよいよよろしい」

瞑想が終わっても水の中にある時の体勢を堅持しつつ、 中村青年は聖者の前に深々と頭を垂れた。

おそらくクンバハカ体勢のことでしょう。

肩の力を抜いて、下腹部に気を込めて、肛門を締め上げる。これをいっぺんにやる。

瞑想している時だけではなく、常日頃からやる習慣を身につけること。

そうしないと、「いざ」という時にできなくなるからです。

日頃の実績がものをいうのです。

もしあと1年で人生が終わるとしたら?


ホスピス医 小澤竹俊著 (2021年/アスコム)

「私がおすすめしたい、この一冊」 

國岡恒雄講師

「あと生きられる期間がわかった時」 

どう活きたらよいのか? 

また間もなく死を迎えようとする人とどう接したらよいのか? 

この本には易しい言葉で書かれています。

自分の人生が終わると考えた時、あなたはどう活きるのですか?

自問自答する中で、余分なものがそぎ落とされ、「本当に自分の望むもの」が残ってきます。

「後悔のない、あるいは後悔の少ない人生を送ろう」とするには、避けては通れない事実です。

我々がこの世に存在している期間は、限定されています。

本著ではまとめとして、後悔のない人生を送るには四つの条件があるのではないか、 と述べています。

  • 自分で自分を否定しないこと
  • いくつになっても新しい一歩を踏み出すこと
  • 家族や大切な人に、心からの愛情を示すこと
  • 今日一日を大切に過ごすこと

隠れているキーワードは「積極」です。

「もしあと一年で人生が終わるとしたら?」と考えることは、自分にとって本当に大切なことに気づくことであり、苦しみや困難と向き合う力、人と支え合い助け合う力、苦しんでいる人を笑顔にする技術を育むことにもつながる。

天風先生の教えは人生を力強く活きることが説かれているのですが、死の間際まで心を積極的に保ち続けることの大切さを、改めて知る良いきっかけとなりました。

「甦えりの誦句」「誓いの言葉」

 一年という期間も一日いちにちの積み重ねです。

一日いちにちを後悔しないように活きる、このことの大切さを知った一冊となりました。

生きていることが当たり前のように毎日を生きていますが、いつかは目が覚めない朝がやって来るのです。

今生きていることに感謝して、一日を大切に尊く使って行きたいものです。

財団からのお知らせ

事業計画と予算

「“何かあるのが人生だ”、 それを創意と工夫で乗り越えていくのだ!」という創設者である中村天風の言葉を心の底に置きつつ何があっても抗うことなく、調和の流れに沿いつつ、 心身統一法の普及と次代への継承に力を注いでまいります。

投稿原稿「天風道三十年を振り返って」

有松英昭

(1) 「相対積極」と「自己本位」の失敗から、『成功の実現』と出合う

(2)天風師の教え 「絶対積極真の積極:尊強正 清)」から利他に目覚める

(3) 仕事を通じて天風師の教えを実践

(4) 罹病するも、天風師の教えにより 「絶対積極」 で大病と向き合う。

私は人生のゴールに到達するまで「悔いなき人生」を活きることを目指し、

  • ①真理を探究し続け、
  • ②自己を磨き、
  • ③利他に活き、
  • ④人生を楽しみ、
  • ⑤潔く生きること

を心がけ、努力し続けて行きたいと信念しています。

賛助会便り

大阪の会

同じテーマのお話でも、都度の講師による切り口を変えた解説や、その時の自らの状態の違いにより、強く記憶に残る部分や心が反応する言葉が違ってくることに気づくようになりました。

東京の会

“今の自分を因果の法則で考えて”

全てのことを自分事と捉えると、被害者意識を持たなくて済みます。

今の結果は自分が撒いた種と思い、未来に向けて綺麗か花を咲かせて行きましょう。

「手放すものと受けとるもの」

自分の固定観念が自分自身を苦しめている可能性もあります

潔く手放すことも必要です。

堀田講師のお話より、

  • 自分を他人にして客観視する訓練
  • 常に自分を省みる訓練
  • 今に集中する訓練

これらのことを実践してみるのもよいでしょう。

静岡の会

服部講師は行修の日常化について、ご自身が実践している「オアシス運動」を紹介しています。

オ(お早う)では、朝目が覚めた ら「生きていて良かった」と感謝の気持ちで起きて、通勤中でも運動法をし、電車に乗っている時に走る音を聴きながら安定打坐をする。

ア (ありがとう)シ(親切・深切)では、「感謝の生活と三行(正 直、深切、愉快)」、「三勿(怒 怖 悲)」「運命の誦句」、「誓詞」などの内容にも踏み込まれ、生きている生かされている)という絶対的な感謝、正直・親切・愉快に生きること。

は「すみません」ではなく、「素直」と考える。

『叡智のひびき』


待望の文庫化

天哲学の理想とする 「積極心」とは。

その信念から送り出た言葉を収めた魂の一冊。

著者: 中村天風 / 発行: 講談社

『信念の奇跡』/中村天風


中村天風が晩年に語った 「私の死生観」を初めて書籍化!

前著『成功の実現』『盛大な人生』『心に成功の炎を』と肩を並べる待望の天風成功哲学シリーズ最新刊!

監修 公益財団法人天風会

天風会
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