生かされること

命、生きる

geralt / Pixabay

ゴールデンウィークに、

親戚のところに遊びに行きました。

 
お祖母さんがいるのですが、

入院していました。

 
お見舞いに行きましたが、

相変わらず、話すことも出来ません。

 
認知症なので、

誰が来たのかも分からないのです。

自分でご飯を食べることも、

着替えることも、

歩くことも出来ません。

 
小さい頃から、

可愛がってくれたことを覚えています。

だから、余計に寂しいです。

 
元気になって、

話したりしたいですが、

その見込みは高くないです。

 
こういう状態を見て、

考えさせられます。

 
自分で生きているかどうかも分からない状態で、

長生きすることは、

幸せなことなのかと。

 
家族や看護士などの人たちにも、

かなりお世話になっています。

負担になっていると思います。

 
長生きして欲しいと思いつつ、

複雑な気持ちです。

 
昔だったら、既に亡くなっていたでしょう。

それほど悩むこともなく、

お金も掛かることもなかった。

 
医療技術の進歩などが、

寿命を伸ばしたんでしょうが、

人生を楽しめない長生きは、

寧ろ、辛いように感じます。

 
自分がその立場だったら、

早く楽にしてくれと思います。

回りに迷惑を掛けたいとは思いません。

 
老いることは、

赤ちゃんに逆戻りすること、

ということがよく分かります。

 
生きている間は、

健康で元気にいられるように、

普段から気をつけなければいけません。

老いてからでは遅いのです。

 
自分は何歳まで生きるのだろうか?

元気なうちにやるべきことはやっておこう。

 
そして、老いていることを、

恐怖や不安と思うのではなく、

楽しみと思えるような生き方を、

今からしていこう。

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