我とは心でも身体でもない

風景、山々、霧 人生
風景、山々、霧

メンターの一人でもある中村天風先生は、

『我とは、心でもなければ身体でもない』と仰います。

そして、『我とは、霊魂という氣である』とも言っています。

それはどういうことか?

その前に、私たち殆どの人間は、心や身体を自分のものだと思っています。

当たり前過ぎることで、そんなことを考えたこともないでしょう。

自分もそのうちの一人でした。

しかし、そう思っている限り本当の幸福は感じられないと思います。

いつも、心や身体のことを考えていては、本来の我を失いかねません。

『お腹が痛くても、他人のお腹が痛いと思いなさい』と天風先生は言います。

要は、病があっても、運命が悪くても過度に気にする必要はないということです。

勿論、専門の医師に診てもらうことは大切ですが、

必要以上に恐れることはないということです。

『心や身体は道具』とも言っています。

例えて言うなら、着ている服やズボンのようなものです。

それは自分ではありません。

あくまでも、服は服、ズボンはズボンです。

それを自分だと勘違いしているから、煩悶、恐怖などを感じてしまうのです。

そして、霊魂とは何か?

目には見えないが、氣として確かに存在しているものです。

自分が人間として誕生する前から存在していて、

死んでからも存在し続けるものです。

自分という人間が生きている時だけが自分ではないのです。

自分という人間になる要素は、宇宙が誕生してから、

存在し続けているのです。

気体や物質、何かの生物として、形を変えながら、

自分の霊魂は生き続けてきたのです。

そして、今回、たまたま奇跡的にも自分という人間に形を変えて、

誕生して来た訳です。

そして、この心と身体が滅んでも、

また形を変えて、誕生するのです。

また人間として生まれて来ることもあるでしょうし、

動物や植物、ウイルスとして生まれて来るかもしれないし、

惑星の一部として生まれて来るかもしれない。

人間なら寿命は100年位ですが、

惑星として生まれて来たら、何億年と生きられます。

心や身体は、時間とともに変わっていきますが、

自分という霊魂は、いつまでも変わらずに存在し続けるのです。

亡くなったご先祖様も、どこからか見守っていてくれているかもしれませんね。

だから、死を過度に恐れることはないけど、

折角人間として生まれて来たんだから、

その役割を全うするべきです。

中途半端なところで終わらせてはいけません。

この世の中の進化と向上に寄与していきましょう。

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